東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)107号 判決 1981年4月16日
原告 沢本清
被告 昭島郵便局長
訴訟代理人 藤堂裕 松岡敬八郎 外八名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対してした昭和五三年四月一七日付依願退職処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 原告の主張
1 原告は、郵政事務官・昭島郵便局集配課主任であつたが、昭和五三年三月二五日、被告に対して、同日付の退職願(以下「本件退職願」という。)を提出した。被告は、これに基づいて、原告に対し、同年四月一七日付の「願により本官を免ずる」旨の人事異動通知書を交付して依願退職処分(以下「本件退職処分」という。)をした。
2 しかしながら、本件退職処分は次の理由によつて取消されるべきである。
(一) 原告は、被告に対し、同年四月五日午前八時ころ到達の同月四日付内容証明郵便をもつて、本件退職願による退職の意思表示を撤回する旨の意思を表示した。
(二) さらに原告は、被告及び東京郵政局長に対し、同月六日到達の同月五日付内容証明郵便をもつて、重ねて本件退職願による退職の意思表示を撤回する旨の意思を表示した。
(三) 原告は、同月一〇日午前一一時ころ及び同月一一日午前一〇時ころ、昭島郵便局長室において、被告に対し、本件退職願による退職の意思表示を撤回する旨の意思を表示した。
(四) したがつて、本件退職処分は、本件退職願が撤回された後にこれに基づいてされたものであるから、瑕疵ある処分であり、取消されるべきである。
3 よつて原告は、被告が原告に対してした本件退職処分の取消を求める。
二 原告の主張に対する認否
原告の主張1及び2の(一)ないし(三)の事実は認め、同2の(四)は争う。
三 被告の主張
1 本件退職処分に至る経過
(一) 原告の非違行為
(1) 原告は、昭和五三年二月九日、脅迫等の疑いにより五日市警察署員に逮捕され、引続き勾留された後、脅迫罪及び器物損壊罪に当たるとして八王子簡易裁判所に起訴され、同月二八日、同簡易裁判所において罰金二〇万円(略式命令)に処せられ、同日右罰金を納付した。
(2) 原告の犯罪事実とされたものは、略式命令によれば次のとおりである。
原告は、
第一 昭和五一年三月一三日ころ、東京都西多摩郡五日市町伊奈一五一〇番地先の郵便ポストへ、同町館谷二八七番地日本国有鉄道武蔵五日市駅駅長水島健夫宛に「駅長どうにかしろ。きさまのようなやろうのために住民は誠に迷惑している。猟銃で打ち殺すことも考えている。警笛など鳴らさなければならないじようたいか。」などと記載した手紙を投函して郵送し、同月一四日ころ、これを同駅に到着させて右水島に閲読させ、もつて同人の生命・身体等に対し害を加うべきことを告知して脅迫し
第二 同年四月一二日ころ、前記郵便ポストへ、前記武蔵五日市駅駅長水島健夫宛に「運転手をどうするのだ。何人のため警笛を四〇回以上も鳴らすのだ。住民が迷惑する。場合によつては、こつちも銃をうつことも考える。誠に悪質なやろうだ。今晩中眠ることができない。ちきしよう。」などと記載した手紙を投函して郵送し、同月一三日ころ、これを同駅に到着させて右水島に閲読させ、もつて同人の生命・身体等に対し害を加うべきことを告知して脅迫し
第三 同年四月一六日ころ、前記郵便ポストへ、前記武蔵五日市駅駅長水島健夫宛に「よく警笛を鳴らす。警笛を鳴らしたところで何の役に立つのだ。犬め、てめえがいるために善良な人間が国鉄に入ることさえできないのだ。てめえにも家に帰れば静かな家庭があるだろう。おれにはないのだ。てめえのためにうばわれてしまつたのだ。ちきしよう殺すぞ。」などと記載した手紙を投函して郵送し、同月一七日ころ、これを同駅に到着させて右水島に閲読させ、もつて同人の生命・身体等に対し害を加うべきことを告知して脅迫し
第四 同五二年一二月一五日ころ、同町伊奈二九一番三号先道路上において、同所に円形状の画鋲(直径及び高さ各約一センチメートル)約六〇個をまきちらし、同画鋲で同所を通りかかつた関谷青二運転の足踏式自転車の前輪のタイヤをパンクさせ(修理約六〇〇円相当)、もつて右関谷所有の器物を損壊し
たものである。
(3) 右のほか、原告は、昭和五二年一二月ころから逮捕されるまでの間に、自動車や自転車のタイヤに刺さつてパンクさせることを十分に承知しながら、道路上に、一回につき一〇〇個位の墨汁を塗つた画鋲を三〇回以上撤布していた。
(4) なお、原告が逮捕された事実は新聞紙上で報道され、また、原告は、昭和四五年一一月一八日、勤務時間中に職場で同僚の腹部を蹴るという暴力をふるい、これにより同四六年三月一二日、月給の一〇分の一の減給一月間に、同五二年八月一二日、配達中の郵便はがきに落書きをして郵便物を汚損させ、これにより同年一一月二二日、訓告に、それぞれ処せられている。
(二) 本件退職願の提出に至る経緯
(1) 昭和五三年三月六日、当時の小野宣夫昭島郵便局長(以下「小野局長」という。)及び福島康夫昭島郵便局庶務会計課長(以下「福島課長」という。)は、前記(一)の事実について原告から事情を聴取し、原告に対して始末書の提出を求めたところ、同日、原告は、始末書を提出した。
(2) 小野局長は、原告の右非違行為について処分を検討したところ、右非違行為は、その動機その他諸般の事情を勘案しても、懲戒免職処分が相当であろうと判断したが、原告の家庭事情や原告が始末書を提出して一応の反省の情を示していることに鑑み、原告が任意に退職願を提出するのであれば、その承認を前提として、懲戒停職処分以上の処分権者である東京郵政局長に対する懲戒処分の上申に際し、その軽減方を副申し、原告に対して退職金が支給されるよう取り計らうことを考慮した。
(3) そこで小野局長は、同月七日、原告を局長室に召致した際、原告に対し、非常に厳しい処分になると思われること、退職願を出すということであればそのような取り扱いをすることなどを説示して、辞職の意向を打診した。しかし、原告は、将来の生活のためにも郵政職員にとどまりたい意向を示し、退職願の提出には消極的であつたため、小野局長は、とりあえず東京郵政局長に対して懲戒免職処分を相当とする旨の上申をするとともに、同郵政局人事部人事課考査係に対して原告が辞職についての態度を留保中である旨を連絡した。
(4) 同月二四日に至り、東京郵政局から小野局長に対し、原告の退職願の提出について照会があつたので、小野局長は、原告が寄留していた原告の実姉ハニング幸江(旧姓沢本。以下「幸江」という。)に連絡をとり原告の出局を促した。
翌二五日、小野局長は、原告から就職等について相談を受けているという浄土宗和合院の服部英中住職(以下「服部住職」という。)の来訪をうけ、それまでの経過などを説明したところ、服部住職は、小野局長に対し、懲戒免職では再就職の妨げとなるので原告が辞職しうるよう取り計らわれたい旨懇請した。
服部住職の退室後、原告と幸江が出局し、小野局長が原告に対して辞職の意向を再度打診したところ、幸江が退職願の様式等を尋ねたので、その場に同席していた福島課長がこれを教えた。その後、同日午後に至り、服部住職が原告本人の自筆による本件退職願を持参して被告に提出した。
小野局長は、右「退職願」の写を東京郵政局宛送付し、前記照会に対する回答とした。
(三) 懲戒停職処分及び本件退職処分に至る経緯
(1) 同年四月四日、小野局長は、東京郵政局から、原告に対して停職一年間の懲戒処分を発令した旨の通知とともに、右処分は原告の退職を前提とするものであるから、その執行後すみやかに原告の辞職を承認する措置を講ずるよう指導を受けた。小野局長は、福島課長に指示し、原告に対して翌五日午前一〇時に出局するよう連絡をとつたところ、右指示連絡を受けた幸江から「明日は処分の発令ですか」「解雇なのですか」などと問合せがあり、小野局長は「懲戒免職は退職手当がでないが、原告の場合は退職手当が出される方向で決まつた」旨を回答した。
(2) 翌五日、小野局長は、原告代理人の川口弁護士作成にかかる同月四日付確定日付のある本件退職願を撤回する旨の内容証明郵便を受領したため、懲戒停職処分の処分書及び処分説明書の交付を見合わせたうえ、同日午前一〇時過ぎに出局した原告に対して、右撤回の真意を尋ねたところ、原告は、右退職願の撤回を撤回する旨の意思を表示し、その場でその旨の文書を作成してこれを被告に提出した。
(3) そこで小野局長は、原告をひとまず退局させ、昭島郵便局庶務会計課石原啓次人事担当主事(以下「石原主事」という。)の起案にかかる、同月六日付で原告の辞職を承認しこれを発令してよいかとの経伺文書を決裁したのち、午後に至り、福島課長、同局新井金蔵集配課長(以下「新井課長」という。)及び石原主事を立ち会わせて再び原告を召致して、原告に対し「処分は君が前に出した辞職願を受理することとして行うものであり、郵政局へお願いして処分は一段低くなつている」旨を説示し、「今日は処分だけを行い、あらためて明日午前一〇時に辞令の発令を行うので、必ず出局しなさい」と告げて、原告に対し、東京郵政局長の懲戒処分書及び処分説明書を交付して停職一年間の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)を執行した。
(4) 翌六日、小野局長は、原告に対する「願により本官を免ずる」との同日付人事異動通知書を準備して原告の出局を待つた。
しかしながら原告は出局せず、かえつて川口弁護士作成にかかる本件退職願を撤回する旨の同月五日付の内容証明郵便を再び受領するに至つた。
(5) その後同月一〇日、一一日の両日、原告と川口弁護士が出局し、川口弁護士から小野局長に対して「本人は辞めたくないと云つているのでよろしく。」などの申入れがあつた。
そこで小野局長は、東京郵政局と打合せのうえ、原告に対する右人事異動通知書を原告方において直接交付することとした。
(6) 同月一七日、小野局長の命により福島課長が新井課長とともに原告方に赴き、原告方玄関内において、原告に対し、同日付の「願により本官を免ずる」との人事異動通知書を読み上げ、これを原告に交付しようとしたが、原告がその受領を拒んだため、右通知書を原告の足元に置き、昭島郵便局に帰還しようとして右両名が玄関から出たところ、原告が追いかけて来て、新井課長の襟元に右通知書を丸めて押込んだ。
(7) 原告が右通知書の受領を頑強に拒絶したため、小野局長は右通知書を郵送することとし、右通知書は、同月二九日原告に到達した。
2 本件退職願の撤回の意思表示の効力
(一) 原告の主張する本件退職願の撤回は、右1記載のとおり、いずれも原告代理人の川口弁護士の作成による内容証明郵便によつてされ、右撤回の通知書には原告の署名及び押印がないところ、公法上の意思表示は、その性質上、自ら直接にその意思を表示することが必要であるから、右撤回はいずれも無効である。
(二) 原告の主張する本件退職願の撤回の意思表示のうち、昭和五三年四月四日付内容証明郵便によるものは、同月五日右1の(三)記載のとおり撤回されているから、その効力はない。
その余の撤回の意思表示は、本件退職処分の効力が発生した後にされたものであるから、いずれも無効である。すなわち、辞職承認処分は、人事院規則八―一二第七五条の規定からみて、発令したとき、すなわち任命権者がその意思を外部に表示したときにその効力が発生するものと解すべきところ、任命権者である被告は、右1の(三)記載のとおり、昭和五三年四月五日原告の辞職を承認する旨の文書を決裁した後、原告に対し、翌日辞職承認の発令を行う旨の意思を表示したから、遅くとも翌六日午前零時の到来により、本件退職処分は、その効力が発生したものというべきである。したがつて、その後の退職願撤回の意思表示は、効力を有しない。
(三) 本件退職願撤回の意思表示は、右1記載の経過に照らし、信義則に反するものであり、許されないというべきである。すなわち、本件退職処分と本件懲戒処分は、密接不可分の関係にあり、本件懲戒処分は、本件退職処分を前提として手続が進行し、発令されたもので、原告もその事情を認識していた。しかるに、原告は、本件懲戒処分の当日になつて突如として退職願を撤回したものである。しかも、原告は、昭和五三年四月五日本件退職願の撤回の意思表示を撤回し、本件退職処分がなされる旨の告知を受けたうえ、本件懲戒処分書等の交付を受け、その後に再度本件退職願撤回の意思を表示したものである。このような撤回は、行政秩序を甚しく乱すものであり、信義則に反する。
3 結論
以上のとおりであるから、本件退職処分に瑕疵はない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1について
(一) (一)の(1)ないし(4)の事実については、原告が逮捕された事実が新聞紙上で報道されたことは不知、その余の事実は認める。
(二) (二)の事実については、(1)は認め、(2)は不知、(3)のうち、原告が昭和五三年三月七日局長室に召致されたことは認め、同日小野局長が原告に説示した内容は争い、小野局長がした上申の内容は不知、(4)のうち、同月二四日小野局長から幸江に連絡があつたこと、原告と幸江が同月二五日出局したことは認めるが、同日幸江が退職願の様式等を尋ねたことは否認し、その余の事実は不知。
(三) (三)の事実については、(1)のうち、同年四月四日東京郵政局から懲戒処分の発令の通知があつたこと、原告に対し翌五日出局するよう連絡があつたことは認め、小野局長の幸江に対する回答の内容は争い、その余は不知、(2)は認める、(3)は、同月五日原告が本件懲戒処分の処分書等の交付を受けたことは認めるが、その際、小野局長が原告に告げた内容は否認し、その余は不知、(4)は前段は不知、後段は認める、(5)は前段は認め、後段は不知、(6)は、福島課長が人事異動通知書を読み上げたこと、原告が右通知書の受領を拒んだことは認めるが、その余は否認する。(7)は認める。
2 同2について
(一) (一)は争う。
(二) (二)は争う。
原告が退職願撤回の意思表示を撤回したのは、小野局長から撤回に応じなければ懲戒免職処分になる旨告げられたためであり、右撤回は、原告の意に反したもので、効力がない。
また、辞職承認処分は、当該職員に対し辞令書が交付されたときに、その効力が発生すると解すべきである。
(三) (三)は争う。
本件懲戒処分と本件退職処分は、処分権者が異なる別個独立の行政処分であり、また、本件懲戒処分は、非違行為の内容等に照らし重い処分であつて、本件退職処分を前提としたものとはみられないから、右両処分が密接不可分の関係にあつたものとはいえない。したがつて、本件退職願の撤回が信義則に反する特段の事情はない。さらに、本件退職願自体、原告が小野局長から懲戒免職になるといわれ、やむを得ず提出したもので、原告の本意ではなかつたこと、原告が一七年間無遅刻無欠勤で職務に精励してきたこと、その他原告の家族の状況等を考慮すると、原告が退職願を撤回したことを信義に反すると責めるのは、酷である。
第三証拠<省略>
理由
一 原告の主張1及び2の(一)ないし(三)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件退職願の撤回の意思表示の効力について判断する。
1 まず、本件退職処分に至る経過につき検討するに、被告の主張1の(一)の(1)ないし(4)の事実のうち、原告が逮捕された事実が新聞紙上で報道されたことを除くその余の事実、同(二)の(1)の事実、同(3)の事実のうち原告が昭和五三年三月七日局長室に召致されたこと、同(4)の事実のうち同月二四日小野局長から幸江に連絡があつたこと及び原告と幸江が同月二五日出局したこと、同(三)の(1)の事実のうち同年四月四日東京郵政局から懲戒処分の発令の通知があつたこと及び原告に対し翌五日出局するよう連絡があつたこと、同(2)の事実、同(3)の事実のうち同月五日原告が本件懲戒処分の処分書等の交付を受けたこと、同(4)の後段の事実、同(5)の前段の事実、同(6)の事実のうち福島課長が人事異動通知書を読み上げたこと及び原告が右通知書の受領を拒んだこと、同(7)の事実、以上の事実は、当事者間に争いがない。
右当事者間に争いがない事実と成立に争いのない甲第一八号証(一部)、第二一号証(一部)、第二二号証、乙第四ないし第七号証、第一八号証、第三五号証、第四九、第五〇号証の各一、二、第五一、第五二号証の各一ないし三、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一三号証、第一五ないし第一七号証、第一九ないし第二三号証、第二五ないし第三四号証、証人小野宣夫、同末木博茂、同新井金蔵、同ハニング幸江(一部)、同沢本泰の各証言、原告本人尋問の結果(一部)を総合すると、被告の主張1に記載する本件退職処分に至る経過に関する事実をすべて認めることができ、さらに、本件退職願は、服部住職からの説得に応じて原告自ら作成し、その提出を同住職に一任したものであること、昭和五三年四月四日、原告は、周囲の者から退職願を提出したことを非難され、これを撤回するよう勧められたため、かねてから相談していた川口弁護士を訪ね、退職願撤回の通知を出すよう依頼したこと、同弁護士は、右依頼に応じて直ちに同日付内容証明郵便により右撤回を通知したこと、しかし、原告は、その後再び服部住職から説得され、翌五日出局する前に、同住職の勧めに従い、退職願の撤回の意志表示を撤回する意向を有するに至つたこと(なお、本件全証拠によつても、右五日に原告が本件退職願の第一回目の撤回を撤回し、退職の意思を再確認したことが、原告の意思の自由を抑圧してされたものとは認められない。)、ところが、同日本件懲戒処分の告知を受けて帰宅した後、原告は、退職の意思を失い、再度川口弁護士に退職願の撤回の通知を依頼し、同弁護士は同日付の内容証明郵便を作成してこれを発送したこと、以上の事実が認められる。右認定に反する甲第一八号証及び第二一号証の各記載部分並びに証人ハニング幸江及び原告本人の各供述部分は、前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 右認定事実によれば、原告は、被告から、東京郵政局長の懲戒処分は免職となるかもしれないが、原告が自ら退職するならば処分を軽減して退職金が支給されるように努力すると示唆され、昭和五三年三月二五日被告に対して本件退職願を提出した。そこで、被告は、東京郵政局長にその旨連絡し、処分の軽減方を上申した。東京郵政局長は、原告の非違行為に対する処分としては懲戒免職処分が相当であると考えたが、原告が自ら退職願を提出した事情を汲み、同年四月四日、原告に対し退職承認処分がされることを前提として本件懲戒処分を発令し、被告にその旨連絡した。ところが、原告は、同日退職の意思を翻し、被告に対し本件退職願を撤回する旨の通知を発送した。右通知は、翌五日被告に到達したので、同日、被告は、本件懲戒処分の告知を受けるため出頭した原告に対し、右処分書の交付を留保して真意を確認したところ、原告は、右撤回の意思表示を撤回して再度退職の意思を明らかにした。そこで、被告は、同日辞職承認処分の決裁文書を決裁した後、原告に対し、本件退職処分を前提として本件懲戒処分がされたものである旨を説明し、翌六日本件退職処分の辞令を交付する旨を告げたうえ、本件懲戒処分の処分書を交付した。しかるに、原告は、懲戒免職処分を免れるや、再び辞職の意思を翻して同月五日付で本件退職願を撤回する旨の通知を発送し、その後二度にわたつて被告に対し口頭で本件退職願を撤回する旨申し入れた。そのため、被告は、本件退職処分の辞令書を交付できず、同月一七日原告宅でこれを読み上げ、その場に差し置いたが、これも返還されたため、結局郵送するに至つたものである。
右によれば、昭和五三年四月五日被告に到達した内容証明郵便による本件退職願の撤回の意思表示は、同日原告自らこれを撤回したものであるから、その効力がないことは明らかである。そして、右の事実経過に照らすと、その後の本件退職願の撤回は、信義則に反し許されず、同様に有効な撤回たり得ないといわざるを得ない。けだし、一般に退職願の撤回は、退職処分の効力発生前においては原則として自由であるといわなければならないが、退職処分の効力発生前であつても、退職願を撤回することが信義に反すると認められる特段の事情がある場合には、もはやその撤回は許されないと解するのが相当であるところ、本件においては、次に述べるとおり、右特段の事情を認めることができるからである。すなわち、右事実によれば、本件退職処分と本件懲戒処分とは、処分権者が異なるものの、密接不可分の関係にあり、両者が一体となつて、懲戒免職処分とした場合の離職の効果を生じさせつつ、これに伴つて生ずる退職金の不支給や再就職の際の不利益を回避するために採られた処置であるということができる。そして、原告は、昭和五三年四月五日、本件懲戒処分が本件退職処分と右のような関係にあるとの説明を受けたうえ、本件懲戒処分の処分書の交付を受けたものであり(右処分書の交付を受けた時、退職願が有効に存在したことは前述のとおりである。)、前認定の原告の非違行為の態様等に照らすと、東京郵政局長が右のとおり本件退職処分を前提として本件懲戒処分を発令したことが、合理性を欠き、裁量権の範囲を逸脱したものとは認められない(原告は、本件懲戒処分自体が重い処分である旨主張するが、採用できない。)。してみると、右本件懲戒処分の効力が発生した後においても本件退職願の撤回が許されるとするならば、個人の恣意によつて行政秩序が犠牲に供される結果となり、処分の適正が著しく阻害されるに至ることは、多言を要しないところといわなければならない。したがつて、前認定の事実関係のもとにおいては、少なくとも本件懲戒処分の効力が発生した四月五日以降に退職願を撤回することは信義に反して許されないというべきである。
3 右のとおりであるから、原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく失当であり、本件退職処分に瑕疵はない。
三 よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 宍戸達徳 相良朋紀 須藤典明)